2016年6月19日日曜日

「松田聖子論」


紙類の断捨離をしてます。
ま、ただ捨ててるだけですけど、
断捨離と呼ぶと、なんとなく何事かを成しとげた気になるもんです。

でも、気持ちだけで、なかなか進んでいきません。

買ったのかもらったのか忘れましたが、
黄ばんだ『松田聖子論』(小倉千加子著 文庫本1995年)
が出てきて、つい読んでしまう。

「聖子」を記号として読み解く評論です。

最近は、おでこの皮が多少ピーンと張りすぎてるように思うんですけど、
同世代を置き去り(?)にし、活躍中の聖子さん。

でも、この本はもっと前の時代の話。

山口百恵さんと対比させながら、
ブリっ子と揶揄された「聖子」が、
どんな戦略で売られ、
どう自分をプロデュースしていったのかを、
歌詞やインタビューの内容から、分析。

「聖子」を「百恵」の真逆としてとらえ、
二人の違いを浮き彫りにすることで、「聖子」を論じる。

「百恵」は一つの円。
内側に本当の自分、
外側に虚飾された歌手の百恵。
彼女の結婚は、本物の自分、つまり円の中心に戻ること。

「百恵」のアイデンティティは一つということなんでしょう。

対して、「聖子」のアイデンティティは増殖する。

新しい自分を次々に発見し、その度に「円」を増やしていく。
伝統的な女のホワイト聖子、自己主張するブラック聖子、
正輝の妻、沙也加の母、ビジネスオーナー、
と、その一つ一つが円をなし、増殖していく(27-28ページ)。

そのどれもが、「本当の自分」。

聖子さんは、50代の今も、聖子流という「円」を増殖中なんだろう。
「聖子」の前に「聖子」はいないっ。

でも、なぜか、読後に心に残るのは「百恵」のストーリーでした。

特に、「団地妻がパーティーに行く」ような
人の気をめいらす格好をした 14歳の百恵さんが、
プロデューサーにいわれるままにドレスのすそをあげ、
虚空を見つめ、膝の痣を見せる、という箇所(57ページ)。

その圧倒的な暗さと諦観。

多分、「聖子」より「百恵」のストーリーに、
よりリアリティを感じたから、心をうたれたんだと思います。




ただ今19度。

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